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五木村の歴史

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 九州中央山地にある五木村の歴史は古く、今から約1万2,000年前以上前の旧石器時代の石器が見つかっています。さらに川辺川ダムの関連事業に伴う埋蔵文化財発掘調査により川辺川流域に多数の縄文時代の遺跡が確認され大昔から五木谷には人が住み着き生活をしていた痕跡をたどることができます。
 口承によると、五木は寿永の昔、平家の落人が戦に敗れたどり着いた落人村といわれ、また南北朝時代に九州に下っていた源氏の一門が九州を転戦し、のちに征西将軍の宮・懐良親王を奉じて戦い、八代の名和氏に敗れてその一部の人々が住み着いたとも言われています。
 球磨の歴史に初めて五木が登場するのは、建久三年(一一九二)の平河文書です。
 

 地頭衆の一部が五木に住み始めたのは、十四世紀末から十五世紀の初頭と考えられますが、堂宇の仏像や神像、老樹の年輪などにより当時の人々の暮らしが伝わってきます。
 江戸時代になると、地頭を中心とした小村を形成し藩政下の自治体制の下、農民は地頭畑所で渡世し、藩への年貢として小物成(米以外の作物)の中から上納しました。焼畑耕作で雑穀のアワやヒエ等を生産し、食糧を獲得する半自給的な生活は現代に入ってからも続けられていました。
 明治二十二年(一八八九)に市制及び町村制が施行され、当時は四浦村(現在の相良村四浦)との組合役場を創設してましたが、明治二十九年(一八九六)四月から五木村としての独立の役場が認可されました。
 川辺川ダム問題に揺れ動いた中、「自然が奏でる子守唄の里」として、四季折々の美しさを味わえる、心安まる里として、新しい未来ある村づくりに邁進しています。

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五木村 自然が奏でる子守唄の里

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